2008年12月1日月曜日

責任能力についての考察

時々ニュースで目にすることもある「責任能力」という言葉。
この「責任能力」がなければ「刑法上」は罪に問われることはありません。
つまり、人を殺しても、男性が女性を強姦しても刑法上罪に問われることはないのです。

この責任能力について、やはりさまざまな議論があるようです。
様々な意見に触れることができますので、時間のあるときには責任能力などのキーワードで検索していただければと思います。

私は昔からこの責任能力って何よ?犯罪犯して無罪っておかしいだろ、と思っています。
でもこの責任能力が何なのかを自分が全く理解していない状況で話をしてもそれは無責任なので簡単に調べてみました。

以下、自身の主観が入りますし、自分の調べた結果から導いた答えになります。
調査が不十分な部分もありますので、不適切な解釈がある可能性があります。
そのような記述を見つけた場合にはご連絡いただければと思います。

●そもそも責任能力とは
責任能力とは、刑法上の責任を負うことが出来る能力のこと。
物事の良し悪しを判断し、それに従って行動できる能力のこと。
上記の責任能力の無い者に対しては、その行為を非難することができない。

●何故責任能力がないと非難できないのか?
刑法には様々な解釈があるが、基本的には「こんなことしたらこんな罰を受ける!」という点と、「あんな事したらこんな罰を受けた。もうこりごりだ!」という二つの予防的な役割と、自分自身が犯した罪に相応する罰をお前にも与える!という因果応報的な役割があるそうです。

つまり、刑法には
そもそも犯罪を起こさないように:予防的な役割(一般予防)
2度と犯罪を起こさないように:予防的な役割(特別予防)
相応する罰を与える:因果応報的な役割(応報)
という主に3つの役割があります。

ただ、昨今の判決を鑑みると、「責任能力のない者に対する判決の場合」には、因果応報的な役割は判決の判断材料とはされず、予防的な役割が重視されているように思われます。
上記を踏まえ、何故非難できないのかを考えると、責任能力のない者(物事の良し悪しの判断できないもの)に今後の予防のために、(懲らしめるために)罰則を与えたところで、なぜ自分がそんな扱いを受けているのかが理解できず、反省することが出来ないのでそもそも罰則に意味がない。
という判断になるためだと考えられます。

責任能力のない者は無罪ということです。どんな凶悪犯罪を起こそうとも。

ここで、頭を空っぽにして考えると、責任能力の有無によって差別が行われているということがわかります。
責任能力のある者はそれ相応の罰を受けますが、責任能力の無い者は全く罰を受けない。
責任能力のあるものは、自身ではどうしようもない事で不利益を被っています。

ならば責任能力のあるものも無罪にしろ!というわけではありません。
問答無用で罰を受けていただくべきでしょう。

では余りにも不公平ではないか!という話になります。
そうです。私もそう思います。
冒頭にも述べましたが、私は責任能力の有無に関わらず公平に罰を受けるべきだと思っています。
事実として犯罪を犯しているのですから。

以降、若干刺激的な内容になります。













公平に罰を与えるべきと述べましたが、本心は違います。
繰り返し犯罪を犯す可能性のある人は社会から何らかの手段で隔離されるべきだと考えています。
何度も犯罪を繰り返すような人とは一緒に社会生活できませんよね?

では繰り返し犯罪を犯す可能性のある人とはどのような人でしょう?

気づいた方もいらっしゃるかもしれません。
そうです。私は責任能力のない者は社会から隔離されるべきだと思います。
そこにはもちろん精神的に障害を負い、結果的に犯罪を犯した者も含まれます。
なぜ隔離するべきか?何も感情を込めずに考えれば簡単です。再犯の可能性があるからです。
なぜ再犯する可能性があるのか?まったく罰を与えていないためです。
なぜ罰を与えないのか?罰を与えても意味がないためです。
なぜ意味がないのか?責任能力がない=罰の意味が理解出来ないためです。

「精神的に障害のある人も」という部分のみを見て、差別主義者め!人間じゃない!と食ってかかる人もいるでしょう。
しかし、現在でも既に責任能力の有無によって差別は行われているのです。

どちらにせよ差別が行われるのならば、より社会のためになる方法を選択するべきだと思います。
それは人権無視ではないかという意見は必ず出るでしょう。確かに私の意見だと間違いなく人権無視でしょう。
責任能力のない人を隔離しろと言っているのですから。
しかし、そのような人たちによって人権を踏みにじられている人がいます。
そしてなんら「対策を施さずに無罪」としていると再び同じ様な罪を犯す可能性があるのは疑いようのない事実ではないでしょうか?

再び犯罪を犯す可能性のある者をそのままにすべきではありません。
ではどうするべきか?それを考えると私は責任能力のない者を社会から隔離するしか方法が思い浮かびません。
なぜなら、現在考えられている刑罰を用いても、責任能力のない者に反省を促すことは不可能だからです。
その為に現状では責任能力のない者は無罪となってしまっています。

※可能であれば被害者の意見を刑罰として加味しても良いと私は考えています。
何も罰則を与えず、治療という名目で隔離するのみでは被害者の気持は晴れません。
ただの泣き寝入り状態になってしまいます。ある意味では私刑の許可といえるかもしれません。

ただし、責任能力のない(ここでは特に精神的に障害を負った人)が皆犯罪者と言う訳ではないということはもちろん理解しておくべきです。
障害を持っていようとも多くの人が頑張って勉強・仕事をしています。
そのような人たちには我々は最大限のサポートをするべきでしょう。
そういった人たちのためにも罪を犯してしまった人には責任能力の有無にかかわらず社会的に制裁を受けてもらうべきではないでしょうか。
皆が同じ眼で見られないためにも。

私のような学のない者でも、おかしな部分がある!と気づくのに、その答えが出ていない・改善されていない事を考えれば、この問題がかなりデリケートであることがわかります。
ただ、犯罪を犯した者は罰を受けるべきであり、再犯の可能性があるものとは一緒に社会生活を送りたくはない、というのは誰でも同じではないでしょうか?
責任能力の有無を全く考慮せずに考えてください。

子供を歩道橋から投げ落として殺害した者の居る街で安心して我が子を学校に送り出せますか?

何人もの女性を強姦した者のいる街で女性が安心して暮らせますか?


彼(彼女)らは反省していません。これは悪気があるわけではなく、仕方のないことなのです。
責任能力がないのですから、反省する場を設けられる事もなく、また反省する場を設けられたとしても反省することができないのです。
これは決して責任能力のない人を中傷しているわけではありません。
現在の犯罪を犯し、責任能力がないと判断された人への扱い・判決を踏まえた上での事実です。

100%正しいとは私自身思っていません。
しかし、上記を踏まえれば責任能力のない人は隔離されるべきだと言う私の考え方もご理解いただけるのではないでしょうか。

理屈ではないのです。方法は考える必要はありますが、現実を直視すれば現状がどれほど異常なものなのかが見えてくるのではないでしょうか。

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