2008年12月30日火曜日

恥ずかしくない

包茎は恥ずかしくない!

羊の皮を被った狼なんだよ!!

2008年12月26日金曜日

携帯電話

最近私の携帯電話の調子が激しく悪いです。
電話したりメールを送信している最中、またネットに接続すると良く電源が落ちます。

未成年のころから親父名義の携帯を使っているので、この際名義も自分に変更して機種も変更しようと思います。

一昔から比べると携帯の進化は凄まじいものですね。
私は直接見たことはないのですが、携帯が世に出た当初は肩からぶら下げるような物だったのに今では手のひらに収まりネットに繋がるわテレビは見れるわ。
さらにSDカードを利用できるのであれば2GBのデータも保存できます。
これはもう一昔前のパソコンみたいなものですね。(それより性能がいいかも・・・)

恐らく今後は携帯とパソコンの境界線がどんどん曖昧になって来るのではないかと私は思います。
携帯だと画面が小さいしキー入力もし難い!となればディスプレイやキーボードを外付けすれば良いのです。

しかし、携帯の機能の多さとソフトウェアの複雑さは比例します。
機能が豊富になればなるほどバグは増え、パッチに次ぐパッチにより動作も遅くなるでしょう。
私の壊れかけの携帯も買った当初から動きがもっさり。
その前の携帯ならそんな事にはならなかったのに・・・

MSとGoogle、Appleがそれぞれ携帯産業に進出していますが、これもPC用OSやサービスでの壮絶な攻防戦の延長線上なのだと思います。



しかし機能が多すぎて今の携帯は使いこなせません。
もう新しく携帯に付与する機能なんてないんじゃないでしょうかね?
どの携帯も似たり寄ったりだし。もういっそお米が炊けるよ!だなんて携帯が出てきてくれたら迷わず買うんですがね~。

2008年12月20日土曜日

手書きのチラシに萌える

郵便受けはいつもチラシでいっぱいです。

本当に迷惑ですよね~チラシって。
資源の無駄遣い以外のなにものでもない気がします。
もっと効率的で安価に宣伝する方法はあると思うし、そもそも効果があるものなのかどうか。

テレビCMも大手企業がどんどん撤退しているようですし、宣伝方法はこれからその形態を変えていく事は間違いないでしょう。

という頭の悪い妄想をお風呂なんかでしていました。
で、今日朝起きて郵便受けを見ると某形態会社のお店からチラシが入っていました。
A4サイズで裏表。内容はキャンペーンの案内というまぁ一般的な内容です。

ただ、その表現方法。すべて手書き。犬が裏も見てね♪なんて言っちゃってます。
明らかに女性定員がマジックでササっと書いたのが分かります。


もうね・・・胸が痛い。キュンキュンし過ぎて。


良いですね~オリジナリティがあって文字も大きくて。何か見ていてモッコリホッコリしてきます。
ちょっとだけお店に行ってみても良いかな~なんて。思っちゃったりね。
まぁ、それもお店に行く必要があってどこに行こうかちょっと悩んだときの判断材料程度ですが。。。

それもでお店の人としては大成功でしょうね。実際にチラシを見て何かしらのイメージを与えることが出来たわけですから。

宣伝チラシというとなんとも胡散臭い宣伝文句でビッシリ埋め尽くされているイメージが付きまといます。
少なくとも私はチラシにはそのようなイメージがあります。

しかし手書きチラシではそんなものをすべて書くのは面倒くさい。
だから必然的に伝えたい内容を完結に記述する形になります。
こういった手書きチラシは昔からあるのでしょうが絶対数は少ないはず。
何よりコンピュータを利用していては出せない独特の味が出てきます。

そしてさらにちょっと応援したい気分になります。

また、地域密着型というのも大きなアドバンテージではないでしょうか?
帰属意識をビシビシ刺激しておけば今後地の利を活かした戦略をさらに効率的に取れるようになると思います。
小さな店舗などでは地の利を活かす、これが経営戦略として一番重要なところでしょう。


とまぁ、内容がペラッペラなクセに偉そうな事を書いてしまいました。
私はただ萌えただけです。チラシに。
マジでこの犬商品化されたら買うんだけどなぁ~

2008年12月19日金曜日

紙が好き!!

「神」でも「髪」でもなく、「紙」が好きです。
お前は何を言ってるんだと思われるかもしれませんが、昔から紙が好きなんです。

具体的にどこが?というと自分でも良く分かっていないのですが、手触りとか匂い、あと紙がクシャクシャっていう音とか・・・

和紙はあまり好きじゃなくて、茶色系の皺が付く様な紙質のものがベストです。
身近なものだと本屋さんで本を買ったときに付けて貰える薄い紙のブックカバーがありますよね?
あれは中々良いものです!気に入ったものはまとめて取っておいてます。
最近はビニールっぽいブックカバーを買ったのでお店で付けて貰わなくなってしまいましたけど・・・

で、なぜ急にこんな事を書いたのかというと、遂に出会ったのです。最高の紙と!!

出会いの場所はセブンイレブン。
朝ごはん買っておこうと思ってパンコーナーに足を運んだときに遂に出会ったのです!

フジパンのピーナッツコッペ。

色よし!匂い良し!手触り良し!クシャクシャ音良し!

すべてにおいて私の100点でした。
手にとってその100点具合に「ッンフ!」って声が出てしまうほどに。

パンの味も中々どうして古き良きコッペパン。
これで120円とは!
この値段なら紙だけでも買うね!紙だけでも!




画像を貼り付けていて、自分が紙に憧れるようになった切欠を何となく思い出しました。

魔女の宅急便っていう映画がありますよね?スタジオジブリの。
保育園ぐらいの頃に金曜ロードショーで見たはずなのですが、映画の中で買い物して紙の袋に商品を入れているシーンがあるんですね。
自分の知っている買い物袋といえばビニールのものだけでしたので、自分の知らない外国の街への憧れとともに物凄いカルチャーショックを受けた記憶があります。
その衝撃が今のフジパンに悶える様な変態を作り上げた訳です。

・・・そういえば次の日に紙の袋のあるお店に買い物に行こうと駄々をこねて母親を困らせたような・・・?

三つ子の魂百までと言いますが、人間の人生を大きく左右するのはやはり幼少期の経験だなぁ~と改めた考えてしまいました。

あの時・・・魔女の宅急便さえ見なければ無駄にピーナッツコッペを5つも買うことは無かっただろうに・・・!!

2008年12月17日水曜日

70歳まで頑張ろう!・・・ん?

昨日会社帰りに電車の中である中吊り広告を見つけました。
「やる気のある人が70歳まで働ける社会を作ろう!」とういう内容。

詳細は以下のページをご覧ください。

(社)東京都雇用開発協会/70歳まで働ける企業推進プロジェクト

まぁ、働く気のある人が働けるということは確かに素敵なことだと思いますが、これって結局年金の支払い時期を遅らせたい、もしくは在職老齢年金等々で支給額を減らすことが目的じゃないんですかね?

私はあまり年金についての知識がないので詳細は調べてブログに書こうと思います。

ただ、結局若い人間が尻拭いをする羽目になりそうです。
そしてこれから日本を背負っていく若者はと言うと学級崩壊だなんて言われて久しく、最近ではモンスターペアレントなる阿呆まで出現する始末。

本気で日本の将来が心配になってきました・・・

2008年12月16日火曜日

Solaris10でrootのパスワード忘れちゃった!

っていう経験ありますか?

今日ちょうどrootのパスワードを再設定することがあったので備忘録として。
環境はSPARCではなくx86でしたので、StopキーとAキー同時押しでOBPに移行する必要はありません。(と言うよりもできません)

【Solarisをインストールメディアから起動】
1.まずインストールメディアを用意する。
(インストールに使ったSolarisのCDやらDVD)

2011/10/07追記:下の方にも書いていますが、インストールメディアは現Oracle(旧Sun)のページから無料でダウンロードできます

2.インストールメディアを挿入し、Solarisを再起動。

3.通常ならこれでインストールメディアから起動されるはず。
されない場合はBIOSで、起動デバイスとしてCD/DVDデバイスが最も優先順が
最も高くなるように設定する。

4.GRUB画面が表示され、何を起動するの?と聞かれるので一番上の「Solaris」を
選択してエンター押下。

5.起動モードを選択する画面が表示されるので、6番の「Single user shell」を
選択してシングルユーザモードで起動する。

6.ルートをマウントしますか?と聞いてくれるので、「y」と入力してエンターを押下。

ここまでの手順でSolarisがインストールメディアからシングルユーザモードで起動されます。
親切にも/(ルート)をマウントしてくれるので作業が簡単になります。
こういう細かい気配りって嬉しいですよね!

【/etc/shadowの編集】
1.編集すべきshadowファイルは、/a/etc/shadowになります。これをvi等で
開きます。

2.rootユーザ用のパスワードを削除します。(赤字部分)

削除前 root:*********:14229::::::
削除後 root::14229::::::
※パスワードは暗号化されたものが記述されています。
※パスワードの後ろと番号は環境によって異なります。

3.上書き保存します。

4.CDを取り出してリブートします。

5.Solarisが起動したら、パスワードなしでrootでログインできるか確認します。

6.ログイン後、passwdコマンドでrootのパスワードを再設定します。

以上で、rootのパスワードを忘れた場合の再設定手順が完了です。
作業時間は約10分。

この作業ではインストールメディアが必須です。
手元にインストールメディアがないよ・・・という場合も大丈夫。
Solaris10は公式サイト(Sun)から無料でOSをダウンロードできます。
これをイメージファイルとしてCDやらDVDに焼けばOK
(CDだと5枚になりますが、使うのは1枚目のみです)

注意しなければならない点は、
・通常の/(ルート)は/aの下にマウントされる(/直下はCDの中身です)
・日本語キーボードを繋いでも英語キーボード扱いになるので、viで上書き保存する
際の「:q」のコロンは右シフト+セミコロンを押下する(環境による?)
の2点です。


今回、シングルユーザモードで作業しましたが、シングルユーザモードで起動する際はもちろんrootのパスワードを求められません。
ということは、どんなにファイルを暗号化したり、通信経路を暗号化したとしても悪意ある人間がサーバの前に立った場合には手の打ちようがありませんね・・・。
必要な人間のみサーバに触れる、こういう基本的な事を徹底させるだけでセキュリティーリスクはグンと下がるのではないでしょうか。
・・・これが出来ていない会社がどれほどあることか・・・
うちの会社(学校)は大丈夫?とちょっとでも思ったらスグに確認してみてください。
注意一秒、怪我一生です。




以上、これでパスワード忘れ放題!

2008年12月1日月曜日

責任能力についての考察

時々ニュースで目にすることもある「責任能力」という言葉。
この「責任能力」がなければ「刑法上」は罪に問われることはありません。
つまり、人を殺しても、男性が女性を強姦しても刑法上罪に問われることはないのです。

この責任能力について、やはりさまざまな議論があるようです。
様々な意見に触れることができますので、時間のあるときには責任能力などのキーワードで検索していただければと思います。

私は昔からこの責任能力って何よ?犯罪犯して無罪っておかしいだろ、と思っています。
でもこの責任能力が何なのかを自分が全く理解していない状況で話をしてもそれは無責任なので簡単に調べてみました。

以下、自身の主観が入りますし、自分の調べた結果から導いた答えになります。
調査が不十分な部分もありますので、不適切な解釈がある可能性があります。
そのような記述を見つけた場合にはご連絡いただければと思います。

●そもそも責任能力とは
責任能力とは、刑法上の責任を負うことが出来る能力のこと。
物事の良し悪しを判断し、それに従って行動できる能力のこと。
上記の責任能力の無い者に対しては、その行為を非難することができない。

●何故責任能力がないと非難できないのか?
刑法には様々な解釈があるが、基本的には「こんなことしたらこんな罰を受ける!」という点と、「あんな事したらこんな罰を受けた。もうこりごりだ!」という二つの予防的な役割と、自分自身が犯した罪に相応する罰をお前にも与える!という因果応報的な役割があるそうです。

つまり、刑法には
そもそも犯罪を起こさないように:予防的な役割(一般予防)
2度と犯罪を起こさないように:予防的な役割(特別予防)
相応する罰を与える:因果応報的な役割(応報)
という主に3つの役割があります。

ただ、昨今の判決を鑑みると、「責任能力のない者に対する判決の場合」には、因果応報的な役割は判決の判断材料とはされず、予防的な役割が重視されているように思われます。
上記を踏まえ、何故非難できないのかを考えると、責任能力のない者(物事の良し悪しの判断できないもの)に今後の予防のために、(懲らしめるために)罰則を与えたところで、なぜ自分がそんな扱いを受けているのかが理解できず、反省することが出来ないのでそもそも罰則に意味がない。
という判断になるためだと考えられます。

責任能力のない者は無罪ということです。どんな凶悪犯罪を起こそうとも。

ここで、頭を空っぽにして考えると、責任能力の有無によって差別が行われているということがわかります。
責任能力のある者はそれ相応の罰を受けますが、責任能力の無い者は全く罰を受けない。
責任能力のあるものは、自身ではどうしようもない事で不利益を被っています。

ならば責任能力のあるものも無罪にしろ!というわけではありません。
問答無用で罰を受けていただくべきでしょう。

では余りにも不公平ではないか!という話になります。
そうです。私もそう思います。
冒頭にも述べましたが、私は責任能力の有無に関わらず公平に罰を受けるべきだと思っています。
事実として犯罪を犯しているのですから。

以降、若干刺激的な内容になります。













公平に罰を与えるべきと述べましたが、本心は違います。
繰り返し犯罪を犯す可能性のある人は社会から何らかの手段で隔離されるべきだと考えています。
何度も犯罪を繰り返すような人とは一緒に社会生活できませんよね?

では繰り返し犯罪を犯す可能性のある人とはどのような人でしょう?

気づいた方もいらっしゃるかもしれません。
そうです。私は責任能力のない者は社会から隔離されるべきだと思います。
そこにはもちろん精神的に障害を負い、結果的に犯罪を犯した者も含まれます。
なぜ隔離するべきか?何も感情を込めずに考えれば簡単です。再犯の可能性があるからです。
なぜ再犯する可能性があるのか?まったく罰を与えていないためです。
なぜ罰を与えないのか?罰を与えても意味がないためです。
なぜ意味がないのか?責任能力がない=罰の意味が理解出来ないためです。

「精神的に障害のある人も」という部分のみを見て、差別主義者め!人間じゃない!と食ってかかる人もいるでしょう。
しかし、現在でも既に責任能力の有無によって差別は行われているのです。

どちらにせよ差別が行われるのならば、より社会のためになる方法を選択するべきだと思います。
それは人権無視ではないかという意見は必ず出るでしょう。確かに私の意見だと間違いなく人権無視でしょう。
責任能力のない人を隔離しろと言っているのですから。
しかし、そのような人たちによって人権を踏みにじられている人がいます。
そしてなんら「対策を施さずに無罪」としていると再び同じ様な罪を犯す可能性があるのは疑いようのない事実ではないでしょうか?

再び犯罪を犯す可能性のある者をそのままにすべきではありません。
ではどうするべきか?それを考えると私は責任能力のない者を社会から隔離するしか方法が思い浮かびません。
なぜなら、現在考えられている刑罰を用いても、責任能力のない者に反省を促すことは不可能だからです。
その為に現状では責任能力のない者は無罪となってしまっています。

※可能であれば被害者の意見を刑罰として加味しても良いと私は考えています。
何も罰則を与えず、治療という名目で隔離するのみでは被害者の気持は晴れません。
ただの泣き寝入り状態になってしまいます。ある意味では私刑の許可といえるかもしれません。

ただし、責任能力のない(ここでは特に精神的に障害を負った人)が皆犯罪者と言う訳ではないということはもちろん理解しておくべきです。
障害を持っていようとも多くの人が頑張って勉強・仕事をしています。
そのような人たちには我々は最大限のサポートをするべきでしょう。
そういった人たちのためにも罪を犯してしまった人には責任能力の有無にかかわらず社会的に制裁を受けてもらうべきではないでしょうか。
皆が同じ眼で見られないためにも。

私のような学のない者でも、おかしな部分がある!と気づくのに、その答えが出ていない・改善されていない事を考えれば、この問題がかなりデリケートであることがわかります。
ただ、犯罪を犯した者は罰を受けるべきであり、再犯の可能性があるものとは一緒に社会生活を送りたくはない、というのは誰でも同じではないでしょうか?
責任能力の有無を全く考慮せずに考えてください。

子供を歩道橋から投げ落として殺害した者の居る街で安心して我が子を学校に送り出せますか?

何人もの女性を強姦した者のいる街で女性が安心して暮らせますか?


彼(彼女)らは反省していません。これは悪気があるわけではなく、仕方のないことなのです。
責任能力がないのですから、反省する場を設けられる事もなく、また反省する場を設けられたとしても反省することができないのです。
これは決して責任能力のない人を中傷しているわけではありません。
現在の犯罪を犯し、責任能力がないと判断された人への扱い・判決を踏まえた上での事実です。

100%正しいとは私自身思っていません。
しかし、上記を踏まえれば責任能力のない人は隔離されるべきだと言う私の考え方もご理解いただけるのではないでしょうか。

理屈ではないのです。方法は考える必要はありますが、現実を直視すれば現状がどれほど異常なものなのかが見えてくるのではないでしょうか。